いつもここから

なんとなくひきこもりで高卒で腐女子でつれづれなるままに

ひきこもり、大学どうするよ問題

なあ、どうする……??

結構さ、不登校界隈では有名な人たちって、大学行きがちじゃない?そこで自分のアイデンティティと向き合う、っていう……いや、偏見かな?

でもさ、不登校でもひきこもりでも、とりあえず大学行けば、なんか大通りに戻った感じあるよね。最終学歴だし…。中学、高校不登校でも大学行ってます、と中学、高校は通ったけど大学不登校です、じゃ全然違う感じがする。

やっぱり不登校っていう問題(?)・困難が終わった、消化してるんだなこの人は、って感じがするからかな。

不登校は悪いことじゃないけど、今の日本でしようと思ったらまあ色々大変なことありましたよね……。)

だからねえ、私も大学行きゃあそれでオッケー👌!あがり!って感じあるしさ、受験勉強もしたことあるよ、今年の夏に……。やめたけど…

だから小学校、中学校不登校の人とか見ると、うらやましい時がある。だってこれからの進路、いろいろ考えられるし、うまくいけば大学で本流と合流できるやん、って思うからかな。私は高校まではまじで皆勤賞の優等生で、そこからドロップアウトだったから…。遅咲きだったから…。そして今大学も行く気無いとまでは言わんけど、勉強もしてないしモチベーションは無い……。

自分は学校とかそういうのにあんまり迎合できないと早く気づけたら、その分対策も練れるけど、遅いとなあ……、う〜〜ん 現在路頭に迷っている……

 

でもさあ 最近気づいたこと

不登校もひきこもりも、原因はこれだ!ってはっきりとは言えない。自分で選んだのか、いや選んだ気はするけど、どうしようもなかった気もする、って感じだったんだけど

ある日の深夜、典型的なひきこもりと同じく、昼夜は逆転しかけてるんだけど、深夜の謎のテンションになる時間、ぱっとひらめいたのが

私は(自分から)動いている、動いていると思ってたけど、これは動かされているわ

逃れようもない大きな流れに乗っているんだ、と

なるほどな〜と思った。

 

不登校もひきこもりも大学行ってないのも 海みたいに大きな何かに流されてここまで来たんや、って思った。

 

なんかよくわからんけど安心した。ちょっとうれしかった。

だからべつに、無理して大学行くことないのかもしれない。

時間が経てば、わかることもあるのかもしれない。

近況

今までは奈良にいた。
高校で不登校通信制に転入して、浪人という名のひきこもり。
家族との関係は前から悪かった。
家を出たい一心で学校に通い勉強して今まで頑張ってきたのにな。
なんで正反対のひきこもりになってしまったのか???という考えがぐるぐるして辛かった。
今は大阪の祖父母宅にお邪魔している。奈良では最悪だったメンタルもましになってきた。祖父母は孫の顔を見たら喜んでくれるし、わたしもうれしそうな顔を見たら悪い気はしない。
でまあ、図書館行って、たまに友達と会って、ばあちゃんにご飯食べさせてもらって、別に風呂は3日にいっぺんでもいい。稼ぎがないから高いものは買えないけれど、お小遣いで多少の物は買える。よく街に出ては世間の人々を少しずれた視点から見つめる……。
う〜〜ん、べつに悪くないよね、この生活。
ずっとこの生活、っていうのはちょっといやかもしれないけど…。
でもまあ、少なくとも今はそんなにしんどくない。
でも少しほしいものがあって、それは私の中でのイメージでは大学なんだけど、
人とのつながり?みたいなもの。
ひとりでやって楽しいことはひとりでできる。それで満足。
でもひとりじゃできない楽しいことがある。その現実がすごく悔しくて、「ひとりでも楽しいわ!!」って思おうとしてたけど……
やっぱり友達と会うのや、ひきこもり女子会はなんか楽しい、というかテカテカした感じ。なんかひとりとはベクトルの違う楽しさ。
悔しいなあ…ひとりで完結できない事が…。
そういうわけで、最近は妥協して、ひとり主義をやめてもいいかな、と。
「誰か」を探してます。

ひきこもりでもバンドがしたい

ひきこもりの、っていうかひきこもりでなくても全然いいのだけども、仲間がほしい。
誰かと話したい。遊びたい。歌いたい。
ひきこもりでできないことって、これだけじゃない?これさえできたら、もう私は完全体なんじゃないか?
でもどこで同志を見つけりゃええんや……年上の人たちは、ネットがこんなに発達して、昔はできなかった交流ができるようになったね……、ってよく言ってるのに…。
どこで交流できるっていうの……?わからないよ…
ブログやってれば誰かと出会えると信じて…

なんちゃってひきこもり日和

高校は卒業して、一応浪人生ということなんだけども

受験勉強めんどくせえ、どうしよっかな…ってな感じで、

塾も通ったことはあるんだけど、勉強って結局自分でするものだから、不必要だなと思って辞めた。

バイトもしたくない。できないというのもあるけど、とにかくしたくない、なーんか拒否反応が出る。

だから実質ひきこもり。

毎日やることは…ない!

ゆったり眠り、ゆったり過ごす。

ある意味豊かではある。

まあでも運動しなさすぎてちょっと体はしんどくなってきた。

精神的には、しんどいときも結構ある。私こんなに若いのに…大学も働きもせず…くうぅ~っむなしい!!って泣けるときも…。

しかし何かに追い詰められることは全く無い。

一長一短だなあ。

どんなことも、いいところがあれば悪いところがあるって、最近実感するようになった。

 

まあでも、ひきこもり、しんどくはある…。

だから、少しづつ、動き始められたらいいな…とは思っている…(遠い目)。

 

はやく涼しくなりますように。…

寒くなったら、私の大好きな曲を紹介したい。

おたくだからマンガの話をさせて

って言いつつカテゴリはボーイズラブ

BL(もちろんボーイズラブのこと)について絶対語りたいからカテゴリは作らねば…しかしボーイズラブという言葉の強さよ…しかもカテゴリがボーイズラブだけやったら…どんだけBLのことだけ考えてるねん、って感じやし…でも他のカテゴリって何があるよ、これについてずっと語る、っていうのは意外と無い…?じゃあ「その他」かな…。

 

安心してください、ここではケツの穴がうんたらかんたらなんて話はしません、そういうのは然るべき場所(どこ??)でするので、私、それぐらいのわきまえはありますので…??(つまり18禁の話はしないということです)

でもこの腐女子界隈における、「わきまえ」っつーのが謎である。ピクシブでもツイッターでも腐女子は基本、公には出てこない。(っていう建前はあると思う。)

その理由には、

①二次創作が著作権的にグレーゾーン(アウトといえばアウト)だから

②原作では絡みのない者同士を勝手にくっつけているから(原作を改変している)

③ゲイものだから

ぐらいが考えられるのかな、と腐女子二年生は思うのですが、

 

①の理由はわかる。法律のために腐女子は隠れる。

②は、男女ものだったらどうなんだろう…?と思う。たとえばコナンの二次創作で、原作ならどう見ても 平次×和葉 なところを、 平次×蘭ねえちゃん とか、 博士×和葉 にしたら隠れなきゃいけないのか?(あんまりそういうパターンは見たことないし調べないから分からん…)

まあまず原作を改変してる時点で、①に該当しちゃうからおおっぴらにはできないけども。

 

つまり…私のもやもやは…

③ゲイものだから、という理由で隠れていることもあるよね、っていう……!

それって、単に男性同士の恋愛は公にしてはいけない、ということなら、その考え方はだめです、異議あり

なんですが、あと、④ゲイの方たちの目に触れると申し訳ない…って隠れる腐女子もいますよね?

私にもその気持ちは、ある…(どこから生まれたんだろう)

でもヘテロに当てはめて考えたら?

 男女の恋愛もの見てもなんとも思わんわな…ありふれてるし…

いや、自分のセクシュアリティと違う人の描いた恋愛ものか。

レズビアン、またはゲイの描いた男女の恋愛もの。実際の性的指向と異なるから、想像で補われている部分もある…多分に美化されている…うーん…

でも(おそらく)ヘテロの描く男女ものも結構美化されてるしなあ、別に嫌悪感はないかなあ…。どうなんだろう…。

でもゲイはマイノリティで、現在も差別は無くなったとはいえないということを考えると、ゲイの人にとってはセクシュアリティの違う人間にゲイを描いてほしくない、という気持ちもあるだろうし…。

もちろん人によって違うのだろうけど。

 

腐女子界隈には、「ボーイズラブはゲイの人たちとは違う、ファンタジーだ」という考えの人もいるけれど、

確かに、女が描けば、現実がよくわからないのでファンタジーにもなるだろう。

でも、間違いなく男同士の恋愛を描いているのだ。

それなのに、ゲイとボーイズラブを切り離すことはできるのだろうか?

 

 

私は、公衆の面前で「私はボーイズラブが好きです。」と言って良いのだろうか。

ただ一点、ゲイの人達にとって、ゲイではない私がゲイをコンテンツとして消費することが、傷つけることにならないだろうか、ということのみにおいて、私は迷っている。

欲望のはなし

物心ついたころにはすでに、それはそれはモノに執着する子供であった。

大切なマンガ(古本)は人に貸すことさえしなかった。

買ってもらった大切なモノは、大事に大事に保管して、使う事さえしなかった。

金にも異常に執着していた。あまり詳しくは覚えていないが、とにかく無駄遣いはしない。「守銭奴」と呼ばれていた。(親戚に)

 

それなのにある時、まったく物欲が無くなった。

モノに対する執着が、いつの間にか消えていた。

どうでもよくなったから、保管していた未使用のモノを使うようになった。(劣化して使い物にならないこともあった…)

マンガは布教のために喜んで貸した。

お金も使うようになった、というより関心が全く無くなった。

物欲にとらわれていたのが、自由になった……これは良いことなのでは?

 以前よりも身軽になったような。

 

無欲を良いことと信じて疑わなかったけど、最近、

欲望はあったほうがいいという説をよく見かける。

 

www.mammo.tv

まさにこれとか。あとは中村うさぎも、死んだら否応なしに欲なんて無くなるから、生きてるうちは欲にまみれてなんぼだとかなんとか。

 

確かに、欲望が無いと何もはじまらない。

「これが買いたい!」と思ったら、金を稼ぐ上での多少のいやな事には目を瞑ることができるかもしれないが、何も無ければいやな事のほうにばっかり目がいってしまって、「やっぱり稼ぐのやめとこ」ってなりがちなのでは??うーーん。

だから欲望は大事だと思う。

 

数年前に物欲が無くなって、まあ一切無くなった訳じゃないんだけど、詰めが甘くはなっている。じゃーもういっかー、ってなりがち。そして時が経つと欲は消え去る。

貪欲になりたい。

 

でもなー、貪欲になればなるほど、叶わないことが苦しくなるんだよなー、そしてこんなに苦しいのなら願わないことにする。ってなる。

 

あ、でも食欲には自信がある。(最近は少し薄れてるけども…)

おなかいっぱいになっても、もう一口、二口、三口ぐらいは食べてしまう。苦しいのに。

思春期あたりからずっと、過食症ぎみ?というか、苦しいのに食べてしまう、食べたくないのに食べてしまう自分がいやだった。(吐くほどではないが…)

ほんとにずっといやだなと思っていたのに、最近、ふと

こうやってわたしは生きてきたんじゃないか。

と思った。

身体はもう満足してるけど、余韻で、もう少し、もう少しとしがみつく。

これはまさに私のエネルギーの象徴なのでは。

こうやって私はしがみついて生きてきたし、生きている。

そう考えるとすこしうれしかった。

ブログといえば…

私はもう、高校は卒業したのですけど、

小学校高学年のころにも、四コママンガで日常をつづるような類のブログをやっていた記憶がある。

基本ギャグ路線だった。ほんの少しだけ、コメントつけたりもらったり交流もしたけど、一年も経たずやめた気がする。

祖父母への不満も書いてたのを覚えてる。なつかしい。

あのときから数年経って、またブログをはじめようとしているわけですけども、あんまりなにも期待していない。

なにを期待って…言うのは恥ずかしいけど、人気が出て有名になったり、心の友ができたりすることです。

期待しないからといって、これらを望まないわけじゃないんです。できるなら交流したりしてみたい。ネットというツールを利用して。(いままでなかなかできたことがないし…)

 まあでも、私の少年期の生き方は、そういう期待をしまくって、がんばり散らかすようなもんやったんです。

 だから、今回のブログは(一年も経たずに終わるに一票!…)そういう肩肘張った感じではなく、私の思うままに、日記に綴るようなことを書こうかな…なんてな…

これぞまさにブログではないか…!

あ、あと、今までなら恥ずかしいと思って抑えることも書いていきたい。だってなんかあほらしくないですか。恥ずかしいからやめとこ。って。

恥のレベルを下げる。

ここまでの文章を読み返すと、絶妙にめんどくさい人格が感じられるけど…私はこんなんではないのでは…なんてな…。

でも人間の本当の部分になんてそう簡単には触れないですよね(って誰かゆってたから)。

その人に対するイメージって、意外と覆されることも多いから(?うーん断言はできない)。

だから、この文章読んでイラッ、てなってもこれからどうなるかわかりませんよ!?

 なんてな…